数千年前と変わらない夕日が空を赤々と染めている。
人類石化の黒幕がいるかもしれないなんて突然言われてもすぐには受け止めきれない。まだ、何もかも手探り状態で確証も持てないのだ。
「ごめんね遅くまで」
とはいえこれからすべき仕事の内容を理解できないまま動くことが私にはできなくて、もう日が暮れてしまうというのに多忙な千空を質問攻めにしてしまった。
納得できた方が動ける。そういう性質ならと千空は根気よく付き合ってくれた。
もしかしたら慣れているのかもしれないし、彼も私と一緒でそういう性質なのかもとも思う。
「……千空はさ、石化した日って何してた?」
ずっと続いていくと思っていた日常が突如崩れた日。
うっかりトラウマを呼び起こしてしまう可能性もある、少々人を選ぶ話題と分かってはいたけれど、千空はただ「実験」と簡潔に答えた。
「テメーは」
会話が続くのを期待してなかったといったら嘘になる。でも、そのまま解散かなという気持ちの方が強かったので、千空が私に向かって同じ問いかけをしてくるのは予想外だった。
だからつい気が緩んで、今まで誰にも言えなかったことを口にした。
「私は……学校の屋上にいたよ。屋上で、もう全部全部終わっちゃえって、空に向かって願ってた」
人類が、世界が一度滅んだあの日、学校という狭い箱庭の中で私は世界を一つ壊した。
「だからね、不謹慎だけど石化の黒幕がいるなら良かったって思っちゃった!……そっ、そんな顔しないでよ、分かってるよ馬鹿みたいだって」
私みたいなどこにでもいる人間の自暴自棄で「地球終わっちゃえ!」が実現したら世界なんてとっくの昔に滅んでるに違いない。
千空の、呆れて物も言えないという正直過ぎる表情を直視できるほど私の心は強くない。
「ったく神妙な顔して何言い出すかと思えば……」
「あーあーあーそれ以上はもう許して」
ツッコミを阻止された千空はそのまま私の隣に腰を下ろした。
ぼんやりと眺めている間に太陽はどんどん沈んでいく。
「そんで?」
「え、この流れで続き聞く?」
くだらねーこと考えんなと笑い飛ばしてくれるものだとばかり。千空がそうしてくれるなら、私も一歩進めるんじゃないかと甘いことを考えていた。
「先に尻尾出したのはテメーだろうが。それに納得してねえからな、んなお気軽に世界滅亡なんざ願われて堪るか」
千空を納得させられる自信なんて1ミリもないし、深掘りされても私がひたすら恥ずかしいだけだ。ましてや人類を全員もれなく救おうとしている人にさらけ出すような内容じゃない。
そんな言い訳を並べ立てては即却下されて。これはもう話さないと帰してもらえないと彼の目を見て悟った。
「えと、じゃあ言うけど。……その、友達と同じ人を好きになってしまいまして」
「……ああ!?」
「そこそんな驚く?」
「あーーいや、続けろ」
ちょっと気が向いて聞こうと思った話がまさかの恋愛関係だったら、千空は嫌だろうか。彼がその手の話を好んでしないことはみんな分かっている。
好きと言ったって、ちょっとかっこいいね!とかその程度の、それこそお気軽な気持ちだった。でも、私の友達は違ったみたいで。
「あ、恋愛は本題じゃなくて。それから友達と気まずくなっちゃったんだよね〜」
今思えば、色んなことが重なったんだと思う。受験とか就職とか、嫌でも進路を考えなくちゃいけない時期だった。私も彼女も何かがおかしかった。
「気まずいだけなら良かったのに。いつの間にか好きな人なんてもうどうでも良くて、お互いを嫌うことに一生懸命になってた、というか」
激しくいがみ合う私達を不安そうに見ていた他の子の目の色が徐々に変わっていくのをひしひしと感じていた。いつしか、その視線と背中に突き立てられた刃物の区別がつかなくなっていった。
「そんで、もう嫌になったから全部やめちゃおって思った」
ここは居心地が悪い。そんな所にいたってつらいだけだ。だから全部捨ててやった、これでスッキリした。そう思わないと、立っていられなかった。
一人になって少し経った頃。ちょうどあの日、かつての居場所を横目でちらりと盗み見た。
そこには、この前まで一緒に笑っていた人達の笑顔があった。私のことはもう見えなくなったみたいに、普通に笑って日常を過ごしていた。
その時ようやく理解した。私の居場所を壊したのは他でもない私自身だったと。
「みんな、なんか安心した顔してた。私がいない世界で。いない方がマシって、私、ずっとそう思われてたのかなぁ」
三千七百年も経ったのに、今でも鮮明に思い出せる。言葉も涙も止まらない。
千空はどんな顔をして私のどうしようもない懺悔を聞いているんだろう。
どうして千空は、私の経験なんて比にならないくらい強くて鋭い感情を向けられながら、それでも折れずに立っていられたんだろう。
「名前。もう、」
制止の声と手の甲に触れた温もりで私は引き戻された。
いなくなれなんて、今も昔もひとことだって言われてない。私が勝手に思い込んでそうなっただけだ。
「分かってる、全部過ぎたことだから。戻れなくても大丈夫」
どこにいるのかも分からないかつての友。彼女達が世界を取り戻す頃、私はもう同級生ですらない。
「あの子達が起きても私だけ大人だね……って、みんなそうか」
漠然と思い描いていた、流れに沿って大人になっていく未来も何もかも失って、だけど失った今の方があの時よりずっと自由で、日々を噛みしめて生きていられる。
もう流すまいと堪えた涙が全部下に落ちてきて、慌てて鼻を啜った。
「でも先に大人になれてちょっとラッキー。……さっきから悪いヤツだね私」
不謹慎発言のオンパレードを今さら恥じて、だけど千空も「正直かよ」なんて言いながら悪い顔して笑っていた。
何もない新しい世界に目覚めたその日からずっと、置き場を見つけられないまま抱えていた重荷を下ろせたような気がする。
「テメーが悪人だろうが何だろうがそんなのは俺の知ったことじゃねえ」
千空の言葉は冷たいようで、その奥にはだからこそ誰でも受け入れようとしてくれる懐の深さがある。
千空のそういう所に救われてきた。私も、今はまだ目覚めの時を待ちながら眠り続けるあの人もきっと。
「何千年も一人で反省会してそんでも今日まで頭と体働かせて踏ん張ってきた、クソ真面目でクソ重てー女だよ。俺の目の前にいんのは」
まったく、貶されてるやら褒められてるのやら。それでも今なおこちらを見てくれている千空の瞳を、今度は私もしっかりと見返すことができた。
「うん。重たいけど、よろしくね」
こんな九割愚痴の自分語りに長々と付き合ってくれたお礼とお詫びに、明日からはもっと頑張ろう。それが一番彼の力になれる合理的なやり方だって、頭では理解しているつもりだ。
「ああ、おありがた〜くこき使わせてもらうわ」
いつもの調子で憎まれ口を叩いてる千空は分かっててやってるんだろうか。私が納得したいと言えば、答えてくれるんだろうか。
意味のある話にもない話にもこうして立ち止まって付き合ってくれる理由も、時おり言葉とまなざしに滲む甘さも。そして、さっき千空が私の名前を呼んでくれた時からずっと重なったままの、その手の意味も。
2021.10.21 『さらば、あの日』
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